2014年12月17日水曜日

「社内で知識を共有する」という非常に簡単で実現困難ななにか

なかなか興味深いエントリを読んだんですよ


Twitter眺めてましたらね、なかなか興味深いエントリを目にしましてね。


まあ、私は立場……というか、目線というか、まあいろいろ筆者とは違う存在なので、このエントリがすべて私の意見と同一です……ってことではないんですけども。

まあ、拝読させていただいているうちに、ちょっと自分語りがしたくなったのでこのエントリを書きました。あ、直接的に関係はないと思います。たぶん。

知識の共有とは


当該エントリ中に出てくる「ナレッジマネジメント」というワード。要は個々人が持つ「暗黙知」と言われる知識を「形式知」というものに変換し、特定組織内で共有しまた明確化していきましょう……というお話ですね。そうすることで、効率を良くしたり新しいなにかを創造したり、そういったプラスのアクティビティを作り上げていこう。そういうモノだと解釈しています。

一言で言えば、「みんなが持ってる知識をみんなで共有したらウハウハじゃね?俺天才wwww」メソッドなわけですが、言うは易く行うは難し。実際にチャレンジした人なら痛いほどよく分かっていることでしょう。チャレンジしていなくても、感覚として何となく認識できているのではないかと思います(*1)。

そう、「ナレッジマネジメント」ってかなり難しい事なんです。でもスゴイ簡単なことなんですよ。なんでボクがそう思っているのかってことについて、ずらずらと思いつくままに書いてみたいと思います。

ナレッジマネジメントはファーストフェーズじゃない


ナレッジマネジメントってのは応用技術なんです。まずその前にやらなきゃいけない事ってのがあるんだけど、それは無視されているのです。「その前にやらなきゃいけないこと」ってのは、「ナレッジシェアリング」ってやつなんですよ。きっと。

詳しい人から総ツッコミ喰らいそうなんですが。

まずね、「暗黙知」だの「形式知」だのそういったのは置いといて、「共有する」ということを実現しなきゃいけないんですよね。これが難しい。逆に言えば、「ナリッジシェアリング」が出来さえすれば「ナリッジマネジメント」なんて簡単なことなんです。嘘です。

ナリッジシェアリングが難しいn個の理由


ナリッジシェアリング……横文字使いたい病に罹患しているボクはそう呼称してますが、日本語で言えばまんま「知識の共有」ですね。「意識高い系」(*2)の人たちが言う「知識のアウトプット」ってやつと同義だと思ってますが、それはさておき。

前述の通り、「ナリッジシェアリング」は難しいです。なぜ難しいのか、ちょっと考えてみました。

「ナリッジ」とは属人的なものである


そもそも「ナリッジ」とは属人的なものです。どう頑張ってもそうなのです。最終的な「ナリッジ」を有するのは個人です。ナリッジのシェアというのは、あるナリッジを保有する人の数を増やすという行為と言い換えることができます。

別な言い方をすれば、ナリッジをシェアする方が「ナリッジをシェアする」という意識がなかったり、ナリッジをシェアされる方が「ナリッジをシェアされる」という意識がないのであれば、おそらく周りがどう頑張っても失敗します。

そんなに気合いを入れる必要はありませんが、ナリッジをシェアする方は「シェアするんだ」という認識を、シェアされる方は「シェアされるのだ」という認識を、それぞれ意識しておく必要があるのではないかと思うのです。

誰も「ナリッジ」がなにかを理解していない


組織にはありがちな、そして個人でもよくある話だと思うのですが、「ナリッジ」がなにかをだれも理解していないのです。理解していないものをアレコレするのはかなり困難です。理解していないものを共有しようとするなんて、正気の沙汰とは思えません。

でも、みんな理解した気になっているのです。なぜかって、それが「常識」だから。

大抵の人は「常識」に絶対的な自信を持っています。自分の持っている「常識」にね。ただ、人の数だけ「常識」があるということをみんな忘れてしまいます。意識的なのか無意識的なのか、それは分かりませんけど。

まあ、まずは「共有すべきナリッジとはなんなのか」という共通認識を形成することから始めるというのは、悪くないアプローチじゃないかなと思います。

誰もなぜ「ナリッジ」をシェアするのかを理解していない


似たような話で、ナリッジシェアリングの理由をだれも考えていないってのもありますね。

本来、ナリッジシェアリングにしろナリッジマネジメントにせよ、手段のひとつであるはずなのです。でも、いつの間にかそれが目的であり目標になってしまう。そんな事例はみんな目にしていることでしょう。

いや、別にナリッジシェアリング/マネジメントを目的なり目標なりにすることは悪いことじゃないのです。でも、大抵の場合それは茨の道です。なぜなら、それを成し遂げたとしても何もその先にないから。もし、何かあるとしたら、ナリッジシェアリング/マネジメントはその「なにか」のための「手段」であるという証左なのです。

高度なナリッジを求めたがる


シェアする側も、シェアされる側も、「ナリッジ」といえば高度ななにかである……という認識を持っているものです。それ自体は一概に間違いだとは言えませんが、それを意識しすぎると失敗しやすいのではないかと思います。

ここで考えたいのは「高度」ってのはどのレベルを指すのか……ってことですね。

例えば、「コンピュータの電源を入れる」というナリッジ。これは「高度」でしょうか。たいていの人は「No」というでしょう。電源ボタンを押すだけでしょ?……って具合にね。

この「コンピュータ」が「パーソナルコンピュータ」ならそうかもしれません。では、汎用機だったら?スーパーコンピュータだったら?……おそらく、「Yes」と答える人が増えてくることでしょう。

そもそも、「パーソナルコンピュータの電源の入れ方」という話も、ある組織/集団にとっては十分「高度」なナリッジなんです。何のことはない話なんですが、「高度」であるか否かは相対的なものなんですよね。忘れがちですけど。

話が明後日の方向に行ってしまいましたが、要はどのレベルのナリッジを対象とするかのレベル感ってのが共有されていないとなかなか難しいよって話なんですよね。ええ。

ついでに言えば、初学者にとっては「常識」とされているナリッジにこそ価値がある場合もあるのです。意外とそういったナリッジは学習する機会がなかったりします。あえて、そういう「常識」をナリッジ化するというのも悪くないのではないでしょうか。場合によっては新人研修とかにそのまま使えますし。

自分からは動きたがらない


似たような話で、自分から一歩を踏み出せる人ばかりではないんです。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」ではないですが、誰かが歩みを進めるのに合わせて歩き出す人の方が大多数です。

誰かが先に一歩を踏み出す必要があります。「誰かがやるだろう」ではだめなのです。自分がやらなければ。

自分のできることを他人に求めたがる


忘れてはいけないことなのですが、自分ができることを自分以外の誰かができるとは限りません。

往々にして、自分ができることは「簡単なことだ」とか「誰にでもできることだ」と勘違いしてしまいます。自分にもそれができなかった/知らなかった時期があることを思い出してください。

自分以外の誰かが自分の知っている知識をマスターしようとするときは、自分がした以上の苦労があるかもしれません。自分以外の誰かが壁にぶち当たったときに、自分の経験を適切な形でシェアしましょう。

他人のできることを自分にもできると思い込む


他人ができることというのはとても容易に見えます。が、それはものすごい努力を重ねた結果かもしれません。他人ができることというのを軽く見ないようにしましょう。表面上簡単に見えたとしても、その裏には様々な事象が隠れているかもしれません。

他人の能力に敬意を払いましょう。そして、謙虚になりましょう。素直になりましょう。他人のできることが自分にできなかったとしても、それはおかしな事ではないのです。

時間がかかるというのを忘れる


人は結果を求めます。それもすぐに出る結果を。でもね、そんなすぐに結果が出ることばかりじゃないんですよ。気長にやりましょう。

今までそういう文化がなかったのなら、そういう文化を創り上げるところからのスタートなのです。文化なんてのは一朝一夕には変わりません。徐々に時間をかけて蓄積していった結果が文化なのです。それが不満なら、そういう手順を踏まなければならないような文化を創った人を恨みましょう。小一時間問い詰めましょう。

ま、それこそ無駄以外の何物でもないですが。もっと有益なことに時間と労力を使いましょう。

一方的に与えられるものであると思い込む


言い換えれば、みんな自分が「ゲスト」だと思いがちです。それが正しいシチュエーションもありますが、ナリッジシェアリング/マネジメントにおいては、ほぼ100%間違いだと言えるでしょう。

その組織/集団の全員が当事者意識を持つようにする必要があります。しかし、その効果的な方法は私には分かりません。私に分かっていることはただひとつ。みんな自分が当事者であるとは認識していないということだけです。

無理をする


頑張りすぎる……と言い換えてもいいですね。ともかく、無理は禁物です。できるときに、できることを、できるだけ。そのくらいでやるのがちょうど良いのです。

さもなくば、心が折れますよ?身体を壊しますよ?メリットよりもデメリットの方が多くなりませんか?ゆっくりやりましょう。

特別なことであると勘違いする


知識のアウトプットというのは面倒です。意識高い系の人以外にはとてもできることではありません……という誤解があります。

でもそういう人に雑談混じりで話を聞くと、驚くほど多くの知識を授けてくれるのです。要は資料化するのが億劫だったりするだけで、みんなアウトプットすること自体は普通にやってるんですよ。

ナリッジシェアリング/マネジメントを成功させる秘訣って、たぶんココが一番大きいんじゃないかと思います。どうやるのが正解なのかは、組織/集団の性質によって異なると思います。

さあ、ナリッジシェアリングから始めよう!


ここまでつらつらと書いてきたことは、ボク自身がボクの勤めてきた会社でなにかやろうとしたときに感じたものの一部です。

正確に言えば、このエントリを書いている最中に思い出せた事のすべてです。ので、だいぶ抜けがあることでしょう。

今冷静に考えると、どこにいたとしても感じる事ってのは同じようなことなのです。逆に言えば、これらを何とかすれば糸口くらいは見えてくるかもしれないって事なのです。

……さて、ここまで真面目に読んでくださった方には申し訳ないのですが、このエントリにはオチはありません。っていうか、お酒を飲みながら適当に思いついたことを思いついたままに書き連ねた成果物がこれなのです。

それに、私自身も社内でのナリッジシェアリング/マネジメントをどうすべきかは悩んでいる最中なのですよ。私はやりたいと思い、実際に行動に移しているのですが、いかんせん手応えがない。……そんな状況です。空回ってます。

なにか良い方法があれば、教えてください。ナリッジをシェアしてください。


*1:「暗黙知」ってこういうことだよね(;´Д`)
*2:ボク、この表現キライなんですけどね

1 件のコメント:

  1. 日本ナレッジマネジメント学会の方から来ました。(笑)
    「ナレッジマネジメント=暗黙知の形式知への変換」では決してありません。
    SECIモデルで有名な野中先生もそんなことは一言も言ってません。
    ナレッジをどのように活かしていくのか、ということを考えるのがナレッジマネジメントであって、例えば徒弟制度の職人のように暗黙知を暗黙知のまま共有する形式もありますし、むしろその方が良い分野もあります。
    暗黙知は何でもかんでも形式知にすることが可能だという風に思うと痛い目にあうことが多いですよ。

    返信削除