2014年5月17日土曜日

できるときに、できることを、できるだけ

自分三原則


ボクが昔から一貫して胸に抱いているポリシーがひとつだけある。それは「できるときに、できることを、できるだけ」という自分三原則。まあ、さすがに仕事の面ではコレを貫くのは不可能なシチュエーションが多いけれども、プライベートでは極力その原則を守るようにしているんだ。

……と、わざわざ大層な物言いで書くことでもないんだけども、要は「やりたくなったらやりましょう。無理をしないようにしましょう。疲れたら立ち止まりましょう。」ということを自分の中で決めてるってことで。

例えば、ボクがプライベートでやってるPHP向けフレームワーク Risolutoの開発だったり、このブログを書くことだったりもそのポリシーに従ってるし、各種SNSでのアレコレとかもそのポリシーに従ってたりする。趣味でやってることなんかは特にこのポリシーの影響を受けていて、例えば、趣味でやってるDTMで曲作りとかも気分が乗らないとなにもしない。

なんでって、無理してやっても楽しくないしね。

意識普通系人間の憂鬱


いや、なんかさ、「意識高い系○○」とかってワードが飛び交ってたりするじゃないですか。なんか、常に全力投球で、前向きで、アクティブな感じの(*1)。そういうのが性に合ってる人はいいんだけど、ボクみたいな人間にはちとあわないなぁと思うわけですよ。

周りがそんな人たちばっかりだと焦るよね。なんか自分だけ置いてきぼり食らうように思うよね。ある意味それは至極ごもっともなことなんだけども、じゃあそういった人たちから置いてきぼり食らうことが果たして悪いことなのかというは考えた方がいいのかなぁ……なんてふと考えたりするわけで。

いや違うな。「置いてきぼり食らうことが悪いことか」じゃなくて、「無理をしてまでついていくことが良いことなのか」という方がしっくりくるな。まあ、ともかく、「○○くらいできないとやっていけない」という言葉に焦らされて、余裕が無くなってはいないか。そして、その状態が自分にとって(あるいは自分の大切な人たちにとって)良いことなのか……ってのはちょっと真剣に考えた方がいいんだろうな、と。

ボクは「意識高い系人間」じゃないけど、「意識低い系人間」でもないよな〜なんておもうわけだけれども、世の中の大半は「意識普通系人間」じゃないかと。「意識高い系」はすばらしいことだと思うし、「意識低い系」も安直に悪いことだとは言えないと思う。でも、「普通」ってことに焦りを覚えるのはある意味危険な事なんじゃないかなって。

自分のペースでいいじゃない、普通なんだもの


だからといって、現状に甘んじることをよしとするわけじゃないよ。そうじゃなくて、自分のペースでそういったのはやるべきだよね、ってことで。それが慢心になったらいけないけれども、心の余裕を持つ事ってスゴイ大事だよね。

上ばかり見ていると足下の小石に躓くしなにより首が痛くなる。下ばかり見てるのもアレ。やっぱり目の前をまっすぐ見据えて生きるって大事だよなぁ。自分のペースで過ごすってスゴイ大変だけど、そういう面では意識高くいたいかななんて考える。

できるときに、できることを、できるだけやればいい。そう自分に言い聞かせながら。

……さて、目の前の膨大な量のタスクをどうしてくれようか(つ_T)


*1:いや、これはボクの勝手なイメージなんだけど

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