2014年5月15日木曜日

「オヤジギャグ」は忌み嫌われる存在であるべきか

オヤジギャグはウケが悪い


世間一般で「オヤジギャグ」といえば、忌み嫌われる存在……というか、どちらかというと負のオーラを纏った存在として認知されていると思う。そりゃあそうだ、そういった人たちがイメージするオヤジギャグってのはだいたいこういうイメージだろうから。

  • 布団が吹っ飛んだ
  • 猫が寝転んだ
  • 犬はここに居ぬ
  • ダジャレを言うのは誰じゃ
  • 洒落を言うのは止めなしゃれ

まあ、この手の「安易に思いつきましたよ」って感じのあまりに多すぎる。「オヤジ」が放つ下らないことの総称が「オヤジギャグ」になってしまっている。

これが「オヤジギャグ」界隈の一番の問題点だよね。悪貨は良貨を駆逐するという言葉があるけれど、その典型例だ。

オヤジギャグとは高尚な言葉遊びである


いやいや、ちょっと待ってくれと。オヤジギャグスペシャリストを自称するボクとしては声を大にして言いたい。

オヤジギャグとは本来高尚な言葉遊びなんだよ、と。

ちょっと前のお笑いブームで、「Wコロン」というコンビをよく目にしたよね。あのねずっちさんが繰り広げる「謎かけ」と「オヤジギャグ」は、本質的には同じものなんですよ。

謎かけってのは「AとかけましてBととく、その心はC」という形式のもの。この「A」と「B」には直接関係する要素は見当たらないが、「C」という普段は忘れているけど指摘されれば誰もが納得するような共通点がある。

対してオヤジギャグは、ある言葉に対してその言葉をもじった別な言葉を紡ぎ出す行為だ。いや、もちろんいろいろな定義があるだろうが、ボク的にはそのように解釈している。

オヤジギャグは謎かけと比べて難易度は低い。しかし、センスと知識、時代やその場の流れを読む能力が求められるのは代わらない。表面上はまったく異なる「謎かけ」と「オヤジギャグ」。共通点を見いだすのは自然なことではないだろうか。

高尚なオヤジギャグを放つには


世のオヤジギャグスペシャリストを目指す人にとっては、「どうすればよりよいオヤジギャグを放てるのか」という点に苦心していることだろう。ボクだってそうだ。

まず言えるのは、実践を恐れないこと。最初のうちは、オヤジギャグによる負の側面(*1)によりダメージを受けるかもしれない。しかし、チャレンジなくして成功はないのだ。実践し、その結果を分析し次へ生かす。オヤジギャグのPDCAサイクルを意識することが肝要である。

そして、様々な分野にアンテナをはり、新しい事も古いことも分け隔てなく情報収集に努めること。会話の流れ、相手のスキルレベル、そしてなにより引き際を読む力を養うこと。これはオヤジギャグスペシャリストとしてのキャリアに役立つことは疑いようもない事実であるが、それ以外のシーンでも役に立つことだろう。

大変残念なことに、オヤジギャグについて高度な知見を集約し共有する文化というものが存在しない。その性質上、高度になればなるほど属人化せざるを得ないのが大きな理由だ。

各自が独自に積み上げていかなければならないものが多く、険しい道のりにはなるが不可能ではないはずだ。あきらめたらそこで試合終了なのだから。

オヤジギャグよ永遠なれ


冒頭でも述べたとおり、オヤジギャグとは忌み嫌われる存在である。しかし、質を高めていくことにより、いつかこの状況は打破できるかもしれない。未来はいま生きる人間が作り上げていくものなのだ。

最後に、オヤジギャグスペシャリストとその候補者を知り合いに持つ全ての人に、この言葉を贈りたい。

オヤジギャグに寛容にならなきゃいかんよう(´・ω・`)(*2)


*1:「あっ(察し」的なアレね
*2:一応解説しておくと、「寛容」と「いかんよう(い-かんよう)をかけているのよ

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