2014年5月14日水曜日

転職のある風景 〜 そういえばボクの転職活動ってどんなんだっけ? 〜

Netの話題、TTLはいかほどか


ネットの世界というのはとても時間の流れが早いもので、瞬間的にワッと盛り上がったネタもしばらく立てば沈静化するものである。相対的に長い時間話題になるものもあるにはあるが、「希によくある」レベルであろう。

……などという書き出しで始めたわけであるが、別にネット上の数多あるネタに関する賞味期限の短さを嘆こうという話ではない。

つい最近、我が心の琴線に触れるエントリを目にした。いずれもIT業界における転職について書かれた記事である。本エントリはこれらエントリと直接的な関係性はない。無関係とまではいわないが、関連性は薄い。もしこれらのエントリと類似の内容を期待しているのであれば、あるいは内容のある何かを期待しているのであればそれは裏切られるであろうことを先に明示しておく。



時系列的には後者の「はてなのAnonymousDiary」が先で、それを読んだ結果生まれたのが前者だ。便宜上、本エントリ中で「はてな匿名ダイアリー」の方に言及する場合は「元増田」(*1)と、もう一方を「元エントリ」と呼称しよう。

元増田では、ある名もなきITエンジニアが転職活動に挑んだが、その過程で何度も「お祈り」(*2)されてしまったことにより病んでしまった。その負の感情が溢れた結果、元増田のエントリが誕生するに至った。……ざっくりと内容を要約するならこういったものになるだろうか。

元増田自体にはみな思うところがあるようで、そのコメントにもいろいろな意見が寄せられているようだ。その内容や行動の是非はともかく、個人的には大変興味深いと思う。ただ読むにあたり、一方的な主観に基づいた感情論である事は念頭に置いておく必要はあるだろう。

対して元エントリであるが、著者であるdaiksy氏が元増田を読み、著者自身の体験を踏まえた上で「病まないようにするには」という観点について綴られたものである(*3)。

元増田の著者が同一あるいは類似の境遇かは分かりかねるが、「心を病む」転職の一例とそこから抜け出す方法論がまとめられている。元エントリの内容で最も心に残る一文を抽出するとすれば「職務経歴書に個性を出すのは、やり方しだいでいくらでもできるんじゃないかと思う。特にIT系の仕事なら。」という一文だろう。

これらを引用し批評しようというわけではない。これらを読み、「ああ、そういえば自分の転職の時ってどうだったっけなぁ」などと物思いに耽った結果を何らかの形で晒しておこうかと思い至った。……といえば少しは高尚に聞こえるだろうか。要は「もうそろそろ、これらエントリの話題も落ち着いた頃合いだから駄文をまき散らしてもノイズにはなるまい」と思っただけなのだ。

転職経験は過去数回あるが……


何をもって「転職経験がある」とすれば良いのか非常に悩むというのが正直なところである。私という人間を好意的に表現するなら、非常に保守的であり安定を好む存在である。この性質は「転職」という大きな変化をもたらす行為とは非常に相性が悪い。所属している会社が移り変わったことは数多くあるが、自発的に何かのアクションを起こしたことはほんのわずかである(*4)。

主題は別にありフェイクも多く含まれていることもあり関係性は薄いが、以前転職について少々触れたエントリを書いているので下記に列挙しておく。本エントリと重複する要素もあるが、興味があれば参照されたい。


本エントリでは、私が自発的に転職活動を行った部分にフォーカスを絞り記すこととする。本エントリでは、自身の浅い経験に基づく「職務経歴書に個性を出す」という点に関してアレコレ書いているつもりであるが、この部分については元増田/元エントリとの関連性があるように見えるかもしれない。

無価値な自分を見つめる


「自発的な転職活動」といえば、人生で初めて行ったあの転職活動であろう。

当時の私は、工業高校卒業後に単身で上京し、小さな開発会社に就職していた。その会社の業務は汎用系とWeb系の2本柱であり、私は主として汎用系の案件にアサインされていた。当時の私は軽く病んでいたと言えよう。人間関係や自分の未熟さ、そして自分の思い描く理想の未来と現実のギャップ。これらは負の感情となり心の奥底をタールのようにどす黒く染めていた。

世間も知らず、技術も知らぬわたしがその環境を抜け出すのは無謀であった。結果だけをみれば、「石の上にも三年」の格言に習いその環境に身を置いていた。得るものは多々あったが、負の感情は日に日に強くなっていたのを覚えている。

「自発的な」とは言ったものの、最初ははっきりとした目的意識は皆無であった。その場から抜け出したい気持ちはあるが、はたしてどうすれば抜け出せるのかがまったく見えなかったのだ。当時の私にできたことは、転職サイトにアカウントを作り、情報を入力し、ただ時間を浪費することだけ。「これではイカン」と思い立ち、まずは「理想の未来」とやらの明確化に着手した。

明確化といったものの、非常に漠然としたものだ。「蜃気楼の中に浮かぶ光景を描くようなもの」といえば、ニュアンスが伝わるだろうか。当時の私は、「汎用系じゃなくWeb系がやりたい」という思いが強かった。が、それ以上の具体的なプランは存在しなかった。

しかしながらそれが唯一の指針。では、その道に進むにはどうするか。それを考えた。

進む方法は分からないが、障害になる要素は明確に思えた。「経験のなさ」だ。今思えば、そこはさほど障害にはならない気もするのだが、当時の私はそれを何とかしたいと思い悩んだ。ふと自らの職務経歴に目を向ければ、Web系の要素は皆無であったというのもその思いに拍車をかけた。

その当時所属していた会社でWeb系の経験を積むという選択肢が一番賢明であろう。しかしながら、「非常に時間がかかるよ。実現性は薄いよ」という雰囲気に満ちあふれていたあのとき、その選択肢は選択肢になりえなかった。

無価値な自分に偽りの価値を創造する


仕事でできないならプライベートでやれば良い。それが当時の結論である。とはいえ「Web系」なるものが指し示すものもよく分かっていなかった。とりあえずインターネットでめぼしいキーワードを探すところから始めた。

目に飛び込んで来たキーワードは「Java(JSP/Servlet)」と「LAMP(Linux、Apache、MySQL、PHP)」。他にもいろいろあるにはあったが、当時具体的な「案件」として数多く存在していそうなのはこの2つだった。ここで前者を選択していれば今とは違った未来が待っていたのだろうが、私が選択したのは後者だった。

ここ最近巷を賑わせている「フルスタックエンジニア」とやらの走りだろうか。何でもできるようにしておけばどこかに魅力を感じて貰えるだろう。そう考えたのだ。元々HYEC.ORGという自宅サーバを運用していた(*5)のだが、これをもうちょっと真剣にやっていこう。そう決めた。

まずはある程度基礎知識のあったLinuxから攻めた。Linuxそのものの理解を深め、Apacheについて把握する。MySQLに手を出して、最後にPHP。この時点で程度を気にしなければ「LAMP環境が構築できます」という価値を自分に付与した。

続いて自分が構築したLAMP環境にてPHPのプログラミングを学習した(*6)。本を1冊購入し、サンプルコードを動かし、少しずつ改変して、最後にオリジナルの掲示板を作る。これにより、「PHPでプログラミングができます」という価値をでっちあげた。レベルは推して知るべしである。

これらは「職務経歴」ではないが、当時の私がもてるそれに変わる唯一の武器だった。当時、勉強会やネットでコードを公開するというところまで頭が回っていれば、もっとインパクトのあるアピールができたかもしれないのだが……。

何はともあれ、これで「無価値」だった自分にまがい物の商品価値を生み出せたのだ。

スキルロンダリング


あとは、そのまがい物のスキルを「職務経歴」にクラスチェンジすればミッションコンプリート。……ではあるが、当然そんなに事はうまく運ばない。ここで運に頼ることになる。もともと大企業とか大手と呼ばれているところに入れるとは思っていなかったし入れるとも思っていなかった(*7)。自分が一番ピッタリはまる規模、そんな企業を探していた。

そんなある日、幸運なことにとある企業から転職サイト経由で「ちょっと話をしませんか」というお話が舞い込んできた。

もっとも、最初からその会社に入ることを目標にしていたわけじゃない。入れたらラッキーだが、まずは自分で作り上げたフェイクなスキルのバリューをチェックしたかったのだ。

履歴書と職務経歴書に加え、プライベートでやってきたことをまとめた資料を用意した。PHPの方に関しては自分で書いたソースをプリント、インフラの方は箇条書きでやったこと(≒やれること)リスト。「今できること」ではなく、「これからできる」と少しでも思って貰えるように無い頭を振り絞って考えた結果である。

面談当日、その企業の代表者との1対1の勝負。

結論から言えば、好感触とは言えなかった。まあ、無難に終わったなといったところ。さてどうしたものか。後はどうアピールしていくべきか。帰路につく間そんなことを考えていた気がする。帰宅し、メールにて面談のお礼を送った。「ダイエットは明日から」という先人の知恵を拝借し、その日は眠りについた。

初回の面談後、さほど日を置かずメールが届いた。その企業の代表者からだった。

「今度は実際に貴方の上司になる者とあってみませんか?」という内容だった。初回の面談自体はあまり感触が良くなかったように思えたが、意外とイケていたのだろうか。何はともあれ、話に乗らない理由はないどころか是非にといったところである。二つ返事で日程の調整をお願いすることとなった。

2回目の面談。初回と同じセットを持ち、再びの訪問。そこには取締役を名乗る2人がいた。初回とは違い、具体的なスキルの確認や条件面での希望聴取といったところか。今回はなんとも好意的というか、イケそうな気がする内容だった。

結論からいえば、その後しばらくしてその会社の名刺を受け取ることとなる。スキルロンダリングの第一歩は、確実にしっかりと踏み出せた。

そして職歴へ


入社後アサインされた案件はLAMPとは関係ない内容であったのだが、お望み通りのWeb系エンジニアとしての第一歩を踏み出せた。自分が想定していたことも、それ以外もいろいろなスキルが「職歴」として蓄積されていく。

それはそれで十分ではあったのだが、せっかくプライベートで身につけたスキル。武器を強化しようと思うのは必然だろう。

PHPについては黙っていても経験値は溜まっていきそうだ。ならばLAMPのスキルに絞っていこう。はじめにしたのは社内へのアピールである。最初は簡単なところから。Windows Serverをインストールしてファイルサーバを作りましょう。LAMPの開発環境を作りましょう。そういうレベルから。

そういった「インフラ的なスキル」をアピールし、社内でそこそこの信頼を勝ち取る。そうなれば後は話が早い。

会社としても、そういう方面で私が売れるならメリットはある。私が「インフラもプログラミングもできるエンジニア」として認知されるまでにそう時間はかからなかった。そう、「自称<できます>」が「職務経歴」に変わろうとしているのだ。無価値だったはずの私の職務経歴が、自分の望んだ未来に向けて彩りをましていくように思えた。

もっとも、最初のうちから「この案件のインフラ担当です」というポジションにはならない。社内のいつトラブっても自分たちが困るレベルとは要求が違う。だから最初はお勉強。実務を進める上で必要になることをゼロから学んだ。知っていることも知らないことも分け隔てなく。

案件をこなす毎に、自社内の信頼は深まり。他社からの信頼も少しずつ得られる。奢りかもしれないが、当時の私はそれを肌で感じていた。

個性を出す方法はひとつじゃない


これはあくまで私の成功例。人によっては、「これは成功例ではない」と思うかもしれない。元増田や元エントリのようなバックグラウンドとは事情も違う。レベルの差はある。目指す先も大違いだ。

ただひとつ確かなのは、この体験はIT業界におけるエンジニアとしての私の個性になっているということだ(*8)。

元増田の事情はさておき、元エントリに書かれていることを読んでいてそんな過去を思い出した。やってる内容もレベルも違うけれど、共通する部分は多少なりともあるのではないか。そう思うのは、ただの自惚れだろうか。

今私がやっているRisolutoの開発やこのブログ、各種SNSでのアクティビティは、今後私が同じように転職を考えたときにもこの例と同じように私の「個性」になってくれることだろう(*9)。今はそう信じたい。

さて、長々と書いてきたこのエントリであるが、その最後はこの言葉で締めくくろうと決めていた。その言葉と共に、このエントリを締め括ろう。

おっぱい( ゚∀゚)o彡°


*1:「増田」という略称が定着しているようなのでそれに倣っておこうということだ
*2:採用お断りの手紙やメールに書いてある定型文
*3:非常におおざっぱな要約ではあるが
*4:会社が吸収されたり、なくなったり……的なアレで流れでアレしてるアレ
*5:Linux自体は高校在学中に軽く触っていたので、ADSLとDDNSでお遊びがてらやっていたのがコレ
*6:当時はPHP4だったね
*7:スキル的なこともさることながら学歴的なものや、社風や入社に至るまでの選考過程を鑑みた結果であり中小企業等を貶しているわけではない
*8:実際の所ボクが「使える」存在なのかは、ボクのいないところでボクと一緒に仕事したことある人に聞いてください
*9:ボクに興味のある方/企業様からのオファーは年中無休でお待ちしてます(*´Д`*)

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